札幌雪まつりの歴史が知りたい!開催のきっかけや有名になった理由を紹介!

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季節のイベント

毎年200万人以上の観光客が訪れるさっぽろ雪まつり。

今年2024年の札幌雪まつりは三年ぶりに、大通り会場やすすきの会場で2月4日から2月11日まで本格的に雪像や氷像の展示が開始されます。

札幌雪まつりの歴史はいつから始まったのでしょうか?

また、毎年開催されるようになったきっかけや、有名になったきっかけも詳しくまとめてみました!

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さっぽろ雪まつりの歴史!札幌雪まつりが始まったきっかけとは?

雪景色

1940(昭和15)年に札幌観光協会主事の近藤直人さんが小樽市の北手宮尋常小学校を訪れた際、校庭で学童が雪像作りを楽しんでいるという話を聞きました。

そこから、戦争が終わったばかりの厳しい冬をどうにか楽しくやり過ごせないかと、雪まつりの構想が膨らんでいったそうです。

「大通りで雪像の展示をして、冬の間、戸外に出ない市民が雪のなかで遊ぶ雪の祭典を考えましょう」

近藤さんの呼びかけに賛同した人やスポンサー、雪像制作に協力してくれる学校が集まり「さっぽろ雪まつり」の名称も決定しました。

小学校の学童の雪遊びという些細な出来事が、今や毎年200万人以上の観光客を呼び込む北海道最大級のイベントになるなんて驚きですよね!

札幌雪まつりの歴史!元祖の雪像はどんな感じ?

雪の結晶

今の雪像は高さ15mにもなる大きなものもありますが、元祖の雪像は現在の小雪像くらいの大きさのものだけだったそうです。

学生たちが中心になって高さ3~5メートルのもの6基が作られました。

「ミロのヴィナス」「羆」「裸像」「バルザック」「セザンヌのモニュマン」「生徒の首」でした。

当時の雪像作りは全て手作業で行われていて、スコップで雪を積み上げ、雪を踏み固め、ハシゴに登り、ノミなどで削って仕上げるといったものでした。

手作業のみで最大5メートルもの雪像を作り上げる作業は想像するだけで大変そうです。

今と違って粗削りな雪像ですが、味があっていいですよね!

私も一応道産子なので雪で何かを作る大変さは知っていますが、雪ってなかなか思った形にならないんですよね(笑)

5メートルもの雪像を手作業で作ったのは相当凄いですよ!

札幌雪まつりの歴史!第一回さっぽろ雪まつりが気になる!

氷の水晶玉

第一回目のさっぽろ雪まつりは大通り7丁目広場だけだったそうです。

第一回目は2月18日と19日の二日間だけと開催期間も短くかったようですね。

歌謡コンクール、雪合戦、犬ぞりレース、演芸大会、タンブリング、スクエアダンス、野外映画、花火大会などたくさんの催し物を行った第一回札幌雪まつりは大盛況。

なんと二日間で5万人の観光客で賑わいました。

当時は冬のイベントが珍しかったようで札幌市民も多く集まったようです。

第一回さっぽろ雪まつりは、スクエアダンス中に観客が転倒し開始30分で中止になったり、野外映画は映写台が押しつぶされるなどのトラブルで中止になったりてんやわんやだったようです(笑)

札幌雪まつりの歴史!年中行事へ定着したきっかけは?

雪景色

第1回札幌雪まつりの盛況からそっこーで次回も開催されることが決まったのです(笑)

多くの市民が冬の催しを求めていたという事がわかり第2回さっぽろ雪まつりから正式に札幌の年中行事として決定しました。

確かに真冬はできることなら家にこもっていたいので、冬にイベントがなかったらそれこそ家から出る理由がなくなっちゃいますもんね。

札幌雪まつりは「冬季観光客の誘致と、郷土芸術の奨励を図る」という趣旨のもと現在まで続いています。

札幌雪まつりの歴史!いつから雪像のスケールアップしたの?

雪景色

第4回札幌雪まつりでの展示作品の伏見高(現・札工)が制作した「昇天」は「昇天」は15メートルもの大作でした。

トラック数十台分の雪を運び入れ、ブルドーザーも導入し、初めてやぐらを組んで制作されました。

当時は7~8メートルの雪像が主流だったので、いきなり倍の高さへの雪像のスケールアップに市民は相当びっくりしたそうですよ!

第6回からは陸上自衛隊が参加した高さ11メートルの巨大なマリア像「栄光」が登場しました。

それから雪像制作と雪輸送に陸上自衛隊が携わるようになったそうです。

軍隊が雪像を作っているなんて海外では信じられない出来事のようで、流石、平和な国日本!って感じですよね!

第10回さっぽろ雪まつりを迎えるころには大雪像3基、中小雪像61基と数も大幅に増え、全国のテレビや新聞に紹介され始めました。

第16回には「市民雪像」が登場し真駒内会場も増え、第25回には「国際雪像コンクール」の開催も行われました。

第34回にすすきの会場の参加も増え、どんどんスケールアップしながら今現在の形に近づいていったようです。

さっぽろ雪まつりの歴史!大通りでの開催のきっかけは?

雪景色

もともと大通公園は雪捨て場だったそうです。

この雪を利用して雪像を作ることから始まり現在の引き継がれているそうです。

なんというか、私個人的に北海道の人って合理的だと思うんですよね(自分も含めて・笑)

大通り会場で開催されるきっかけも非常に合理的ですね(笑)

札幌雪まつりの歴史!日本で有名になった理由は?

雪の結晶

札幌雪まつりでは、1959年に雪像制作に約2500人を動員しました。

この様子が初めてテレビ・新聞で紹介されたことをきっかけに、翌年から日本全国から観光客が激増ししたそうです。

北海道って本州の人たちからしてみたら遠いイメージがあるのにそれほど興味深かったんでしょうね!

それから、さっぽろ雪まつりは日本を代表するイベントになったそうです。

さっぽろ雪まつりの歴史!世界で有名になったきっかけは?

第23回札幌雪まつりが開催された1972年は「冬季オリンピック」が札幌で開催された年でもあります。

この時をきっかけにさっぽろ雪まつりは世界的にも有名になりました。

ちなみにこの時のテーマは「ようこそ札幌」だったそうです。

その後、1974年の第25回札幌雪まつり以降には、札幌と繋がりの深い外国地域の雪像も制作されるようになりました。

瀋陽、アルバータ州、ミュンヘン、シドニー、ポートランドなどが雪像作りに参加し、国際色あふれるイベントへと発展しました。

札幌雪まつりの歴史!さっぽろ雪まつりの雪像は誰が作っているの?

雪景色

色々な団体によってさっぽろ雪まつりの雪像作りは進められてます。

主な団体は、陸上自衛隊、札幌市職員、市民ボランティア、市民グループ、民間団体、国際雪像コンクールに参加する外国人グループなどです。

プロジェクションマッピングなどの大雪像は、陸上自衛隊の「さっぽろ雪まつり協力団」と、さっぽろ雪まつり大雪像制作委員会が制作しています。

中雪像は、市民グループが制作しますが、小雪像は抽選会が行われます。

当選したグループだけが小雪像を制作できますが、倍率は例年およそ5~6倍!

なかなか制作するのも難しいようです。

ちなみに、すすきの会場の「すすきのアイスワールド」の氷像は、司厨士協会、北海道氷彫刻会に所属している調理師さんたち、総勢約200名が制作にあたっています。

さっぽろ雪まつりの歴史!札幌雪まつりの運営費用は2億円!?

さっぽろ雪まつりの会期運営費は、運営費だけで約2億円弱もかかっているようです。

やばいですね(笑)

さらに、大きいサイズの雪像の制作費用が1つ約2000万円から3500万円ほど、広告宣伝費などを加算すると全部で6億円以上の費用が発生しているようです。

本当にやばい(笑)

しかし、さっぽろ雪まつりの経済効果は現在では例年約400億円以上の経済効果があると言われています。

北海道を代表するというか最早日本を代表するイベントですね!

せっかく北海道に帰って来たし、今年は行こうかな(笑)

札幌雪まつりの歴史!すぐに取り壊される理由は事故防止

雪景色

危ないからです。

雪はかなり重いので、北海道では軒下は歩かないようにと必ず学校や家庭で教えられて育ちます。

それでも毎年何件かは下敷きになる事故を耳にしますし、雪は本当に危ないのです。

なのでせっかく作った雪像ですが、雪まつりが終わるとすぐに取り壊しにかかります。

取り壊しの日程は事故防止のため公開されていませんが、ショベルカーなどの重機を使っての取り壊しは隠れた人気となっているようです。

すすきの会場では最終日の深夜から、大通り会場では翌日の朝8時から取り壊しが行われることが多いようです。

見に行く場合は、安全な場所で邪魔にならないように見学しましょうね。

札幌雪まつりの歴史が知りたい!開催のきっかけや有名になった理由を紹介!まとめ

やっぱり雪を見慣れていない地域からお越しになる観光客の方は、一面白い世界にまずは感動するのではないでしょうか?

大きな雪像ももちろんですが、キラキラ輝く氷像も素晴らしいです。

夜にライトアップされた雪像や氷像はどこか非現実的で幻想的です。

今までにない景色がやっぱり一番の見どころだと思います。

歴史のある札幌雪まつり、真っ白な世界を楽しんでいってください!

また、札幌雪祭り2024の混雑回避まとめもチェックしておいてくださいね♪

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